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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [11]




「わかったような事を言うな」
「あなたは何もわからなさ過ぎよ」
 強い口調で咎められ、瑠駆真はギリっと奥歯を噛み締める。
「すぐに追いかければ、見つかってたかもしれないのに」
「見つけて、どうするつもりだったの?」
 相手の鋭い視線にも動じない。
「悪かった、酷い事をしたと謝るつもり?」
「何も知らないクセに」
「えぇ、知らないわ」
 言いながら部屋を見渡す。家具家電その他設備一式が整えられたワンルームマンション。もちろんセキュリティーも完備。一度飛び出してしまった美鶴は、自力でこの部屋へ戻ってくることは出来ないはずだ。
 今の美鶴は携帯は所持していない。彼女の部屋で、床に転がっている。だからこちらから連絡する事もできない。
 投げたのは聡か?
 その聡が待つかもしれない部屋へ美鶴が戻っているのかもしれないと思うと、瑠駆真は居ても立ってもいられない。
「わからないなら、どけよ」
 顎を引き、上目使いで睨みつけ、無遠慮に腕を伸ばして肩を掴む。そうして押し退けようとする手首を握られる。
「どうしてこうなったのか、原因は知らなくても、状況は理解できる」
「できるワケないだろう?  何も知らないお前なんかに」
「大方、あなたが暴走して美鶴を追い込んだといったところでしょう?」
 どうして暴走したのかはわからないけれど。
「違うかしら?」
 チッと舌を打つ瑠駆真。まあ、あの状況では弁解のしようもない。
「むしろ感謝してもらいたいわ」
 肩に乗せられた瑠駆真の手をゆっくりと引き下ろし、胸で腕を組む。
「私が止めなければ、どうなっていたかわからない」
 ヒールを脱いでも長身でスタイルの良い身体が、重心を左足へ乗せる。
「ミツルの身体を傷つけるような事をしてしまっていたら、それこそあなたの恋心は木端微塵(こっぱみじん)に砕け散っていたでしょうからね」
「そんな愚行、誰がするかよ」
「自分を止められる自信でもあった?」
 あの状況で?
 問いかける瞳に唇を噛む。
「一度暴走したら自力では止められない事くらい、自分が一番良く知っているんじゃないの?」
「あぁ 知ってるさ。お前に言われなくともわかっている」
 開き直るように吐き出す。
「わかっている事をクドクドと言われる事ぐらい腹の立つ事はないよ」
「だったら言わせないで」
 うんざりと掌を上げられると、癪に障る。まるで、瑠駆真の恋心などくだらないとばかりに()なされたような気分。
「ふん、不浄な恋愛を愉しんでいるような奴に諭されるなんて、不愉快極まりないね」
「不浄?」
 眉を寄せるメリエム。
「何の事?」
「しらばっくれるなよ。アイツとデキてる事くらい、バレバレ」
「アイツ?」
 それでもメリエムは理解できないとばかりに右手の人差し指を唇に当てる。そうしてしばしの後に視線を上げた。
「まさか、ミシュアルとの事を言っているの?」
「他に誰がいる?」
「バカバカしくて思いつきもしなかったわ。あなた、私たちをそんな目で見ていたの?」
「他の奴らだってそう思ってるさ」
 卑猥に口元を歪める。
「そうでなくっちゃ、血縁でもないただの養女が、こうもアイツに献身的に動けるとは思えない」
 メリエムは、瑠駆真の父親であるミシュアルの秘書のような仕事をしているが、立場は養女となっている。
 つまり瑠駆真とメリエムは、戸籍上では姉弟という事になるのだ。
 いや、戸籍なんてものがどうなっているのかなんてわからない。ラテフィルなどという行った事もない国に、瑠駆真の戸籍はあるのだろうか?
 僕は、本当にあの男の息子なのだろうか?
「私はただ、孤児の立場から助けてくれたミシュアルに感謝しているだけよ」
「納得できないな」
「あなたにはわからないわ」
 数分前に言われた言葉を、そっくり返す。
「戦乱で身寄りを失った人間の心情なんて、あなたにはわからない」
 自分がどれほど恵まれた環境に置かれているかも自覚できず、我侭で傍若無人に振舞う人間になど、理解はできないだろう。
「まぁ、あなたに理解してくれとは言わないわ。ただ、無粋な思い込みはやめてね」
 陳腐な嫌味など意に介さないといった態度に瑠駆真の怒りは増し、ぶちまけるように身をベッドへ投げる。
 ほんの少し前まで、美鶴が横たわっていたベッド。顔を埋めると、美鶴の香りが漂ってくるような気がする。
 瞳を閉じる。
 面影に浸りたい。こんな口煩(くちうるさ)い黒人の存在など無視して、その温もりに抱かれたい。
 何だろう? この香り。
 薄っすら瞼をあげる。その視界に揺れる、柔らかい髪の毛。
 銀梅花(ぎんばいか)
 美鶴の部屋で、浴室に置いてあったシャンプーの香りが、これだった。
 どうして、美鶴の髪の香りが銀梅花なんだ?
 気障りな薄色の髪の青年が仄かに笑う。
 言いようのない、不安のような感情が胸に沸く。
「出て行けよ。お前の顔見てると不愉快なんだよ」
 背を向けて唸る相手に向かって、だがメリエムは出て行くつもりはまったくない。
「用事があってきたのに、帰るつもりなんてないわ」
「僕はお前に用なんて無い」
「私にはあるの」
 もう答えようともしない少年へ向かって、メリエムはため息をつき、気持ちを引き締めなおすかのように背筋を伸ばした。
「あなたの素性、かなり知れ渡ってしまったみたいね」
「僕のせいじゃない」
「それは知ってる。学校から謝罪の手紙とメールと電話がきたわ」
 どれもミシュアル宛だが、対応したのはメリエム。
「でも、一度広まってしまったら簡単には収まらない。こちらに、あなたの友人の親だと名乗る人物やら、あなたと接点のある立場の人間だと言い張る人間からのコンタクトがいくつか来るようになってきたの」
「アイツに直接? へぇ、大胆な事をする奴もいるんだな」
 小国とは言え、ミシュアルは一国の国王の第一皇子。
「直接ではないけれど、直接コンタクトを取ろうとする輩もいる。ミシュアルの出席するパーティーに潜り込んできた人物もいる。それがビジネスよ」
 メリエムは再び腕を組む。
「知れればこのような事になるかもしれないというのはわかっていた。だからあなたの素性を隠したのよ」
「広めたのは僕じゃない」
「それはわかっているわよ。でもね」
 諭すように、ゆっくりと言葉を発音する。
「こうなってしまった以上、何か手を打たなければいけないわ。放っておけば、あなた自身も巻き込まれかねない」
「もう巻き込まれかけてるかもしれないけどね」
「ならなおさらね」
 一度大きく頷き、少し身を傾げて少年を見下ろす。瑠駆真は相変わらず背を向けてベッドにうつ伏せたまま。
「それに、これは考え方によっては、良い機会だと思ってもいる」
「良い、機会?」
 なぜだか胸の内をかき混ぜられるような不快感と、そして不安を感じる。

「お前なんぞに好かれなければ、もっと平穏な日常が送れただろうに」

 なぜ今ここで、小童谷陽翔の言葉が耳の奥に蘇ってくるのか?
 お前なんぞに好かれなければ。
「良い機会って、どういう意味だよ?」
 思わず振り返ってしまった瑠駆真に、メリエムは大きく頷いた。
「言葉の通りよ」
 そう言って、組んでいた腕を解いた。





 美鶴はソファーに腰を下ろしながらもソワソワと出入り口の扉へ視線を送る。そんな仕草に幸田は緩く笑った。
「ひょっとして、慎二様をお気にされているのですか?」
「え?」
 素っ頓狂な声をあげる美鶴に、今度は声を上げて笑う。
「ふふっ 当り、ですね」
 そうして今度は困ったように眉尻を下げる。
「残念ですが、まだお帰りではないようなのです」
「あ、そう、ですか」
 言いながらソファーに座りなおし、出された紅茶のカップを手に取る。
 残念と言うよりも、むしろありがたいよ。
 瑠駆真の部屋を飛び出し、だが行くアテもなく途方に暮れていた美鶴の肩を叩いたのが、幸田茜。富丘という高級住宅街の丘の上に建つ霞流邸で使用人として働いており、母の詩織と居候をしていた頃には何かとお世話になった人物だ。







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